自給自足、循環型の暮らしを目指す音楽家であり、農夫でもあり猟師でもある小濱達郎のブログ

京都府南丹市八木町にて循環型の暮らしを目指す、農夫であり猟師でもあるシンガーソングライターのブログ

なぜ、自然農にこだわるのか

今日、すがさんと話をしていて、

思った。

 

なぜ、僕は自然農を選んだのだろうかということ。

 

改めて思い返してみると

環境問題を何とかしたいという思いが

あるのだと思う。

 

環境問題というと、

温暖化のことであったり、エネルギー問題、

大気汚染、海洋汚染、山の荒廃、放射性物質など

様々な事柄がある。

 

自然農が温暖化の対策に直結するとは

なかなか想像しにくいところがある。

関係していないわけではないが。

 

自然農というと、

草や虫を敵としない。

肥料など持ち込まない。

耕さない。

などのキーワードは知っている。

 

この草や虫を敵としない、

という点においては、

とても共感していて、

生物の多様性のなかで、

自分自身が生きている中、

ある特定の虫などを敵対視して、

しまうことに違和感を持っていた。

 

しかし、敵対視しないからといって、

殺さないわけでもない。

 

野菜を食べる虫を殺すこともあるし、

家の中にはいってきた、不快な虫を

殺すこともある。

 

草だって、野菜の周りは、

丁寧に刈ったり抜いたりするし、

普段歩くところは、こまめに刈る。

 

でも、草が生えているからと言って

嫌な気持ちにはならないようだ。

草が生えていない状態がきれいだとも

思わないようだ。

 

除草剤というものが世の中には

あふれていて、

僕は、どうも毛嫌いしてしまっている。

 

化学的なもので

対処してしまうことに、

嫌悪感を感じているようだ。

 

除草剤、殺虫剤、化学肥料などは

使い続けると、その土地の環境に

悪影響を与えると思い込んでいるところがあるし、

また、自らの口に入る可能性も否定できない中、

怖いという感覚もあるようだ。

 

実際、

ラウンドアップという除草剤など、

諸外国では人体に影響があるということで、

使用禁止になっているところもあるらしいし、

もちろん、そういうものを使う気にはならない。

 

そんな除草剤なんて

なかった時代が過去にはあって、

そういうときは、

草は家畜のえさになり、

また、野に積んでたい肥として

使っていたそうだ。

 

そっちの方向でいいんじゃないのって

思っているだけ。

 

もっとも、牛などの家畜を

飼っているわけではないので、

もっぱらたい肥化を実践中ではありますが。

 

多分、

時代が現代に近づくにつれて、

機械化が進み、肉体労働の手間暇は

劇的に減った。

そのことで、時間にゆとりが生まれたり、

プラスになった面ももちろんあるんだけど、

少子高齢化核家族化が進んだり、

ただお米を育てているだけでは、

生活が成り立たなくなってきてしまったり、

なんかうまく回らなくなってきて、

ただでさえ機械化で減った農業への従事時間を

さらに減らしたい、身体がしんどいってなってきたり。

 

もっとも、

年を重ね、おじいさんおばあさんになっていくと、

身体も思うように動かなくなってきたりするかもしれないし、

そんなとき、手伝ってくれる若い人がいなかったら

助けてくれー!もうしんどい!つらい!って

なるのも無理ない。

 

こうやって

巡らせてしまうと、

何がどうなっているのか、

よくわからなくなってくる。

 

いや、

物事は

もっとシンプルなはずだ。

 

心から、気持ちいいと感じること。

その感性に蓋をしない。

 

そうすると、

おのずと見えてくるのでは

ないだろうか。

 

便利なものがたくさんあるし、

誰でも簡単に手に入る、

現代日本社会の中で

自分が使いたいものを取捨選択し、

その結果として、

どんな未来を描いていけるのか

ということ。

 

子どもたちが成人した

その先の未来に。

 

僕はいま、何ができるだろうか。

 

一つ一つの、些細な選択が

形作っていく未来。

 

目の前のこと、

大切にしたいと思う。

 

結局、タイトルとは話がずれてしまったような・・・

 

ちなみに、

自然農で育てたから野菜だから美味しいっていうのは、

正直なところ、僕自身は微妙なところだと感じています。

 

味覚って、主観によって随分作用されるし、

不思議なもの。

 

上手に健康に育った野菜がうまいのは確かだと感じる。

 

肥料をどうするか、

気候や土壌環境などでも、味がずいぶん変わるらしいが、

自分で比較して食べ比べたことがないので

僕にはまだ難しい。

 

自分の畑の同じ場所で育った人参でも

一本一本味が違うのではないかとさえ思ってしまう。

 

僕が美味しいと思っても、

子どもたちは食べなかったりもするし、

まあでも、妻とは割と好みは一致しているかな。

 

身土不二というのは、

まさにその通りだと思っているので、

身近なところにある自然なものを

食べるということは、

身体が喜ぶのだと思う。

 

自らの口に入るものを

自らで育てるというのは、

やはり面白い。

インゲン豆

結構、たくさん収穫できていまして、

いろんな人にお裾分けして

きました。

今日だけで、800グラムくらい。

これまでに四回くらい同じくらい

取れていて、これからまだまだ取れそうです。

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まだ、

野菜を売るということには

していないのですが、

今はそれでいいのかなと

思いました。

 

子どもたちと

一緒に地域を回ると、

お裾分けしたおうちの

子どもたちと

交流できる。

大人が話をしているうちに

自然に遊んでいて、

そういうのが、

子どもたちは

やっぱり楽しいんだなと

思いました。

そして、

お土産までもらってしまいました。

 

これからも積極的に

交流していこうと

思います。

 

 

 

 

紫陽花

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去年は、

咲かなかった紫陽花が、

次々に

咲いてきています。

 

少しいただいて、

玄関横に飾る。

 

こちらに移り住むまでは、

空間的にも

そんな余裕なかったけど、

少しずつ、季節の

お花を飾ったり

していけたら、

いいなと思っています。

 

鑑賞用の有名な花だけでなく、

野に出て、

注意深く見ると、

小さな花を

見つけることが出来ます。

 

 

 

 

 

循環型の暮らしを実践してみて 感じること 

 循環型の暮らしとは

どんなものでしょうか。

 

 僕が考えている循環型の暮らしというのは、

まず、

自らの排泄物の循環。これはコンポストトイレで実践中。

コバエが出るなどの問題点はまだ解決できていないが・・・

 

料理などで出る生ごみの循環。

いまは、コンポストへ彫り込んで、

いずれは土に還す予定。

将来的には、鶏を飼う予定なので、

鶏に野菜くずなどは食べてもらえる予定。

 

薪ストーブや、薪でのお風呂を使った

暮らしをすることで、

身近にある木質資源を活用。

燃やした後の灰は、また植物をはぐくむはず。

いまは、森に木が余っている状況なので、

森を育むためにも、木質燃料は活用したい。

 

また、使用済みの廃材なども、

お風呂の燃料には十分。

 

利用価値があるのに、捨ててしまっているものが、

現代にはあふれていて、そういうものを

活用していく、というのが、

僕の中での循環型の暮らしのポイントだと思います。

 

米のとぎ汁だって、捨てずに畑へ。

 

草刈りをしたときの草は、

畑へ運んで、山のように積んでたい肥へ。

 

畑が家のすぐそばにあると、

自らを含め家族の身体を造り、維持するための、

食料が手に入ります。

おいしくいただいて、残りかすなどは、また畑へ。

 

循環していく中で、

身体も畑もうまいこと

いったらいいなと思っています。

 

まだ、駆け出しなので、

失敗も多いですが、自分の感覚を

研ぎ澄ましていくことで、

ぼんやりとしたものが、

より確実なものへと変わっていくと

いいなと思っています。

 

自然の中で、

生きている。

 

大自然の山々が生命力であふれているように、

自らの暮らしも、生命力で満ち溢れていけるようにと

思っています。

 

また、併せて

環境への付加をなるべく避けたいと思っていて、

洗濯するときにも、洗剤は、使わず、

マザータッチというミネラル水と、

洗濯まぐちゃんというマグネシウムを使った、

環境にやさしいものを使っています。

 

おむつは、布おむつを使っています。

洗濯するのは大変ですが、

ゴミが出ないし、経済的にも安くすむと思います。

4人目だから、なおのこと。

そして、2歳半の次男は、もうとっくに

おむつを卒業しています。

 

 

前置きが長くなりましたが、

 

そのような暮らしを実践してみて感じることは、

 

まず、

 

身体が鍛えられます。

腕の筋肉や腹筋なんかも

たくましくなっているようです。

 

基本、スイッチ一つでなんでも

動くという方向ではないことを

やっているので、

自らの肉体や感覚を駆使して

取り組んでいくことになります。

 

感覚というか、潜在意識は、

すぐには変わっていないと思いますが、

何らかの変化はあるのかもしれません。

 

水洗トイレ、ガスファンヒーターなど、

これまで、当たり前のようにして使っていた便利なものが、

いかにすごいものかということに

改めて気づきます。

 

しかしながら、

例えば薪を使うことは、

手間暇かかるし、身体のエネルギーも使うけど、

それとは別に、良さがあります。

 

燃料を身近なところで自給できることであったり、

火を扱う楽しさもあります。

お風呂や暖房など、薪の方が芯から温まるという

話もありますが、

お風呂は確かに、熾き炭が残っている状況だと、

お湯がさめにくいし、超温まります。

薪ストーブでの調理は、

ガスコンロとはまた違った良さもあります。

 

この辺りは、

楽しめるかどうかということが

ポイントかもしれません。

 

やはり、

ガスコンロでの調理は、

時間短縮できますし、火加減も自在だし、

やりやすいです。

 

畑への循環という面では、

肥料を他所から持ち込まなくても、

野菜が健康に育てば、いうことなしと

いったところです。

 

ゆくゆくは、

山のお水を生活に使いたいと思っていて、

自らの暮らしのありようが、

自分たちの暮らしに直接結びついている

という事実を

もっと肌で感じていけるのではないかと

思っています。

 

ゴミをポイっとするような

ほんの小さなことでも、

実は、巡り巡って自分に返ってくる

ということ。

 

最近は、マイクロプラスチックという

微小なプラスチック繊維のようなものが、

お魚や貝に蓄積しているらしく、

それを食べることで、人間の体にも

プラスチックが入ることになるかもしれません。

 

何気なく使っているもの、

購入しているものが、

どんな背景をもっているのか、

それを使うことで、どんな影響を

与えうるのか、そんなことにも

思慮深く行動していきたいと思います。

今日は、快晴で、薪棚を作りました

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ただいまの家の前から眺める空。

 

梅の木が、大きくなっているのに、

実がうまく育っていなくて、

剪定が必要そう。

 

気持ちのよい空気です。

 

横では、

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こんな感じで、

風呂を沸かしています。

 

夏場は、1時間も、あれば

沸くので、ありがたい。

 

薪を適当に詰め込んで、

火をつけて、あとは、

ほっとくだけ。

そんなに手間はかかりません。

途中、

一、二回は、薪を追加する

必要がありますが。

 

今日は、

依頼された田んぼの

草刈りを一時間。

 

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昼からは、廃材で、

薪棚を作りました。

 

廃材だし、

同じ寸法の材木が

あるわけでもなく、

どうしようー。

と、考え込んでしまいました。

 

出来なかったら

嫌だなあとか、

面倒臭そうだなとか。

 

そうやって、

悶々としている時間の、

なんとも気分の良くないこと。

 

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 パレットを土台に使ってみました。

 

どうやって、柱を建てて、

屋根をつけるか、など、

考え込んでいても、

本当、始まらない。

 

とりあえず、やってしまえ!

 

こっちには、

インパクトドライバがある!

 

ということで、

もちろん設計図もないまま、

適当にビスで留めては、

筋かいをつけて。

 

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まあ、ちょっと

怪しいけど、

気にしない気にしない。

 

最終的には、

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ポリカ波板の屋根を

つけて、一応完成。

 

やはり、

考え込んで悩んでいる暇があったら、

やってみることですね。

 

失敗したら、

それはそれで、

残念な気持ちにはなりますが、

最初から何でもできるわけではないし、

やっていくうちに、

経験値があがって、

失敗しにくくなるようだ。

 

 

 

 

 

疲れた・・・

気持ちのよい日曜日!

晴天で洗濯物がよく乾いてうれしい!

 

午前中は、畑の仕事。

鍬を使うのにも、少しは慣れてきたようです。

以前は、すぐに疲れてしまっていて、

扱い方が下手だからと思っていました。

もしかすると、単純に筋肉がなかっただけかも

しれないです。

最近は、野良仕事で、身体の筋肉が

明らかについてきて、

鍬をふるうことで、もちろん疲れるけど、

筋力がついてきている分、長く持続できる

ようになりました。ま、同時に

余分な力も抜けているんだとは思いますが。

ある程度広い面積を手作業でやると、

否が応でも身体は鍛えられるようです。

 

その後、

集落に新しくできたお食事処へ

子どもたちを連れて、お昼ご飯を食べに

いきました。

特別にお子様ランチも作って

いただきました。

ありがとうございます!

美・火水 というお店です。

うちで、育っている人参、

間引き菜サイズですが、

長男が収穫して、洗ったものを

おすそ分けしました。

子どもたちは、畑の野菜を

人にあげるのが好きなようです。

 

そのお店でお会いした方に、

少し離れたところにある

田んぼのことをお聞きして、

早速見に行ってきました。

 

お米は植えられていなくて、

草が生えている状態ですが、

水がたまっていて、モリアオガエル

卵はあるし、おたまじゃくし、

マツモムシ、コオイムシ、イモリ、

アメンボ、トンボの幼虫やら、

生き物がたくさん。

子どもたちは大はしゃぎで

楽しんでいました。

 

来年あたりから、田んぼで

お米作りやりたいところだけど、

どうするか、考え中です。

 

そのあと、ご近所さんに廃材をもらってきたり、

薪棚をつくる準備をしたり、

バタバタしているうちに、

もう日が暮れてきました。

 

子どもたちは、家で泣き叫んでいて、

いつものことだけど、疲れてしまいます。

妻に4人の子のお世話を任せっきりにしては、

妻もしんどそうでした。

あまりなんでも詰め込んでやろうとすると、

どこかに無理が生じるようです。

 

そして、今から、

大量の洗濯物をたたむのと、

お皿洗い、片付けが待っています。

 

 

 

 

 

 

あっという間の

久しぶりに、

出かける予定のない休日でした。

 

朝は一人野良仕事をしたものの、

昼からは家にいて、少し

片付けや掃除をしたり。

 

子どもが四人いると、

やらなければいけないことも

たくさんで、

あっという間に、

時間が過ぎていくようです。

 

いまは、

夫婦ともに

家にいることが多く

何とかゆとりをもって

暮らせています。

 

有難い。

 

今という瞬間、

穏やかな、このひと時に

感謝です。