自給自足、循環型の暮らしを目指す音楽家であり、農夫でもあり猟師でもある小濱達郎のブログ

京都府南丹市八木町にて循環型の暮らしを目指す、農夫であり猟師でもあるシンガーソングライターのブログ

政治のことって何故話しずらいんだろう

僕が生まれ育った町、高槻では、

4月に市議会議員の選挙があるそうです。

 

僕が高槻に住んでいたころ、演奏活動を

するにあたって、いろいろなひとにお世話に

なりました。

 

今回の選挙でも、

お世話になった方が

立候補されるようです。

 

ある人は、自民党から、

ある人は、維新の会から、

ある人は、立憲民主党から、

またある人は、無所属で。

 

僕にも、政治に関する意見というか

考え方があります。

 

現政権の運営には、嫌気がさしているし、

弱者を切り捨てるような考えも嫌い。

放射能に汚染された土を全国にまき散らすような

政策がなぜ取られていくのか。

原発政策はなぜ止まらないのか。

未来志向の、命ということを大切にする

価値観のもと、誠実であって欲しい。

 

お世話になっている人が、

自民党から立候補する、と聞くと、

なんでなん?と思ってしまいます。

維新の会もしかり。

 

なんで自民党なの?

なんで維新の会なの?

 

僕の政治に関する

考えの方向性と異なる考えをもって

いるからなのかなぁ。

 

そう思うと、なぜだか、

ついつい、

その人の人格まで疑ってしまうような

気がするのです。

 

色々な意見があってしかるべきだし、

それを全否定することは

おかしいことだと思う。

 

だから、

僕が人格まで疑ってしまうというのは、

いけないことなんだと思う。

 

僕は、こう思うけど、

あなたは、どう思う?

 

僕が絶対に正しくて、

あなたは間違っている!

 

そんな風にとらえてしまうと、

議論にならないし、

敵か味方かどっちかの対立に

なってしまう。

 

政治の話って、

複雑に問題が絡まりあっているし、

何が真実なのか、

様々な情報が飛び交っていて、

それを見極めるのは、

簡単ではないのかもしれない。

 

あの人がこういっているから、

そうに違いない!

という感覚は、

僕にもある。

 

話している人の、カリスマ性に

惹かれて、洗脳されるということ

なのかもしれない。

 

僕を含めみんな洗脳されているのか?

 

真実は、どこにあるんだ。

 

僕は、僕なりに、

自分の目で見て、身体で味わって、

確かめるということ。

五感を、自分の中にある感覚を

研ぎ澄ますこと、なるべくニュートラルに

中立に保つこと。

 

を基本におきたいと思う。

 

しかしながら、

大阪のカジノ構想であったり、

万博の招致であったり、

自分の体験でそれらをとらえる

ということは、なかなかに難しい。

 

やはり、

どこそこの大学の教授が

もっともらしいことを

書いていると、

そうだそうだ!

カジノなんて、僕も反対だ!

と思ってしまう。

 

僕自身は、

そもそもこれまでの、

グローバリゼーションというのか、

とにかくお金であったり、能率、効率であったりを

追究して、環境や、人権、生物の多様性のようなことを

あまり気にしないままの経済成長には、

反対なのです。

 

お金は必要だと思うし、

豊かな暮らしを営んでいくうえで、

ある程度ゆとりも欲しい。

 

でも、

たくさんあったからと言って、

僕の暮らしがより豊かになるとは

思えない。

 

お金があったからといって、

歌が上手くなるわけでもないし、

いい曲がかけるわけでもない。

 

お金があるからといって、

僕の心が成熟していくとも

考えにくい。

 

お金では、

僕自身の心技体は、

磨けないのです。

 

お金があるからといって、

自給自足を目指し、

毎日外で汗かいて身体を動かすことを

やめるつもりもない。

 

もっとも、

もしお金があったら、

ほったらかしになってしまっている

山をなんとかしたいし、

後継者不足の農村の荒れていく田畑を

何とかしたい。

 

自由に子どもたちが遊べる公園であったり、

雑木林のようなところを増やしたいし、

獣害対策も兼ねて、狩猟する人を

応援するような取り組み、解体施設も

あったらいいな。

 

もっともっと莫大なお金があったら、

政治的なところまでも動かせるのかもしれない。

 

そう、

自分の理想を追い求めるような

事業を営むとして、

その事業をより拡大していくために、

お金を儲けていくのは、

望むところでもあると思います。

 

肝心なのは、

その事業が、

どんな思いで、何を目指しているか。

ということ。

 

環境問題をなんとかしたい!

ラウンドアップなどの危険な除草剤、

ネオニコチノイド系の殺虫剤を

みんなが使わないようになってほしい!

 

というようなことって、

公共的な意味合いが強くて、

僕が物を売って稼ぐとかとは違って、

イメージしにくいのです。

 

僕が使わないのは、とても簡単。

 

でも、ほかの今使っている人に、

それを使わないでくださいって、

その人の気持ちを変えるのって、

めちゃんこ大変、というか億劫になる。

 

このあたりも、

政治のことを意見しにくい感覚に

通じるんだろうなぁ。

 

政治的な考え、

環境問題に対する意識とかが

たとえ違っても、

別の部分では、意気投合することも

あるし、感謝していることもたくさんある。

 

そのあたりを、

お互いに分かったうえで、

意見の異なることに対しても、

堂々と話せるように、

そういう雰囲気になっていったほうが

いいんじゃないかなと

思うのでした。