自給自足、循環型の暮らしを目指す音楽家であり、農夫でもあり猟師でもある小濱達郎のブログ

京都府南丹市八木町にて循環型の暮らしを目指す、農夫であり猟師でもあるシンガーソングライターのブログ

1日は何事もなく過ぎていく

今日も畑では

野菜が収穫できました。
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平日のお昼は、

子守りなので、

あまり外にはいけないし、

毎日のように、

山本太郎さんと、

その仲間の演説を見ています。

 

今日は、

生まれて初めて、

政治のポスター

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家に張りました。

道路から少し離れているから、

宣伝の効果はないかもしれないけど、

これは、自分の中の意思表明。 

 

いま、動きたい!

何かに突き動かされているかの

ようです。

 

その訳が、

少しずつわかってきたような

気がします。

 

これまで、僕自身、

社会的な問題に、

疑問をいだいてきました。

 

それは例えば、

環境破壊の問題であったり。

 

その一つにリニアモーターカーのこと。 

 

山をくりぬいて、

自然を破壊する大工事。

莫大な費用がかかるのは

もちろん。

仮に

完成したとしても、

これから人口も減っていくわけだし、 

電磁波の問題もあるし、

消費エネルギーの高さもある。

たかだかほんの少し移動にかける時間が早く

なるという、それだけのために

支払う代償が大きすぎると思う。

 

はっきりいって、

マイナスなことしか思い浮かばない。

 

それでも、やはり必要だ!と

推進する動きがあって、

実際に工事が始まっている現実。

 

京都の地下鉄の階段にも

こんなポスターがあった。

 


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なぜ、

こんなことが

通ってしまうのか?

 

今回の、

れいわ新選組の候補者の

話を聞いていて、

少し納得できたことがある。

 

それは、

いまの、金融資本主義という、

経済の仕組みそのものが、

おかしいということ。

 

それをするひとに

悪意があるとか、

ないとか、そういうことではなくて、

お金は、儲かるところに、

動いていくということ。

 

もちろん、そのお金に

目がくらんでしまい、

お金持ちの指示通りに

動いてしまう権力者が

いることも確か。 

 

しかしながら、

その陰で、

やはり誰かが何かが

犠牲になっているのでは

という疑問がつきまとう。

 

使い捨てのもので溢れていることや、

大量の食品廃棄。

海外から輸入した、

より安いものの利用。

木材などは、その最たるもの。

僕自身、直接の知り合いは

いないけど、

貧困の問題。

原発だってそう。

 

 

いつの間にか、

僕自身の中も、

その経済のシステムの中に

取り込まれていて、

安いものを選んで買ってしまうことや、

便利で楽なものを選んで買って

しまうことがある。

 

時には、そうでない

選択をすることはあっても、

どこかには、そういう考えが

染み付いている。

 

お金は、

増やし続けなければいけないと

思っていること。

なんとなく存在している

不安のようなもの。

 

ぬぐいされない不安というのは、自分自身の

暮らしの不安というよりは

世の中に対する不安だと

思う。

 

このまま、

GDPをあげて、

経済成長を、って流れは、

全体の数字だけの話になっていて、

いま、一部の大企業は、かつてないほどに

利益を上げているらしいけど、

庶民一人一人が、

経済成長を実感しているのだろうか。

 

富が集中している、

ということ

なんだろうと思う。

 

でも、その富の集中には、

犠牲が付きまとっていることを

忘れてはいけないと思う。

 

とてつもなく長い時間をかけて

蓄積されてきた、

化石燃料を、利用して

富を得ているということ。

 

その蓄積にかかった

時間は考慮されていない。

 

また、

自然を破壊することで、

富を得ていることも、

壊してしまったら、

もうもとには戻らないし、

再びそれを活用するには、

途方もない時間がかかる。

 

いま、

それらを、

富を増やすというためだけに

使い尽くしてしまったら、

子どもたちの

いきる未来は

どうなってしまうんだろう。

 

いまの、

金融資本主義の仕組みのままでは、

それらを

止めることは難しいのかもしれない。

 

誰かが、

お金を多く持つということは、

誰かの

お金が減るということ。

 

銀行というような、 お金を

貸して、その利息を、回収する

というところがあると、

お金があって、

それを貸す側は、

確実にお金が増えていく一方で、

借りている人のなかには、

かならず減らす人が出てくる。

 

みんなが同じでないと

いけないとは

思っていない。

 

多様性を認め合える世の中を

目指したい。

 

しかしながら、

格差を生み出し続ける社会は

やはりよくないと思う。

 

自分は頑張って、

成功したという人は、

成功しない人は

その人がなまけていたからと

いうかもしれない。

 

だから、貧しい人は

その人が招いたことなんだと。

 

でも、それは本当なのか?

 

そういうことばかりではないだろう。

 

生まれつき運が悪いこともある。

 

子どもたちの未来を

守るのは

大人の役割。

 

そういった明確な

ビジョンを示してくれる人、

グループが、

山本太郎であり、

彼の率いる

れいわ新選組だと感じました。

 

そういう意味でも、今回は

僕も出来るだけ動いていきたいと

思います。