自給自足、循環型の暮らしを目指す音楽家であり、農夫でもあり猟師でもある小濱達郎のブログ

京都府南丹市八木町にて循環型の暮らしを目指す、農夫であり猟師でもあるシンガーソングライターのブログ

薪を使うということ

今は暑いので、

部屋の薪ストーブは、

外しています。

次の寒さが来るまでに

改良したいと思っています。

 

お風呂は薪で、

沸かしていますが、

お風呂で使う薪の量は、

たかが知れているし、

屋内で燃やすわけではないので、

そこまで薪の状態には

気を使わなくてよいと

思っています。

 

この暑い中も、

薪の整理をちょくちょくしています。

 

やはり、

薪ストーブのためには、

乾いた広葉樹の薪を

使いたいところです。

 

まだ、薪の置き場が、

完成していないのも

あるので、早くそれを

作れば、

今よりは効率的に

薪の作業が出来るかなと

思います。

 

しかしながら、

薪作りにさく、

時間とエネルギーは、

結構なものだと

わかりました。

 

何事も経験だと

思います。

お金のこと 続き

合鴨農法

古野さんの本を読んでいますが、

この方の、

忙しさというか、

百姓仕事にかける、情熱、

ハングリーさは、

凄まじいなと感じました。

朝から晩まで毎日毎日、

休みなく働いて、

失敗しても、挫けずに

何度も何度も挑戦している姿勢。

 

しかしながら、

それをしないと、家族を養って

いけないという、

事実があって、

やらざるを得ない状況に

あっただろうことも

想像できた。

 

今の僕とは、

状況が違う。

 

比べると、

なんて自分は

ゆるゆる生きているのかと

思ってしまう。

 

僕の身近にいる

先輩も、

料亭で、店主としてほぼ毎日、

朝から晩まで働いていて、

毎日の睡眠時間は、

3時間とかが当たり前,

かといって、自分の時間が

ないわけでもなく、

山に入り、木を切ったり、

山菜を採取したり。

 

そういう人を

見ると、本当にすごいなと。

 

お金儲けが

したくて、

仕事に没頭しているわけでは

ないと思われる。

 

楽しんでやっているから

できることなんだろうなと。

 

僕は、

僕の出来ることを、

全力で取り組んでいきたい。

 

続く

 

 

 

お金のこと

畑仕事をしているとき、

何か手仕事をしているときに、

無心で作業ができていることは

僕の場合まれで、なんやかんやと

心の中でブツブツつぶやいていると思う。

 

この先、僕自身、

何をどうしていこうかなと

ということも、やはり

考えることの一つである。

 

この場合、

生業として、つまり

お金を稼ぐ手段をどうするか

ということである。

 

シンガーソングライターとして、

夢のある仕事を続けることが出来ていて、

それもこれも、応援してくださる方々の

おかげなんです。

 

そんな僕が、

心の内をさらけだすのは、

幻滅させてしまうかもしれないし、

聞きたくないことなのかもしれない。

 

でも、

僕自身、不完全な人間で、

普段、のほほんと生きているようで、

根が生真面目な分、悩んだりしやすいのです。

 

そんな悩みや、心の中の葛藤も、

内にため込むのではなく、言葉にして

いこうと思います。

 

さて、

そういうわけで、

お金を稼ぐ、ということを考えるとき、

僕は何を基準にしているのだろう。

 

いくら稼ぎたいか?

 

これは、差し当たり直面するポイントである。

 

いくら稼がないといけないのか?

 

現在の、家計簿を照らし合わせてみて、

どのくらい使っていて、

どのくらい稼いでいるのか。

 

そして、今後、

どのくらい必要になってくるのか。

 

これを考えるのが、とにかく面倒くさい。

というか逃げてしまっている。

 

いま、不自由なく暮らせているし、

それで問題ないやんって。

なかったら、なかったなりに、

生きていけるし、必要な時には、

巡ってくるものだと、無責任に

なにかに期待している部分もある。

 

だが、

楽観的な部分がなかったら、

子どもが四人にはならなかっただろう。

 

いまは、大丈夫。

 

でも、この先、

妻の仕事だってどうなるか

わからないし、

僕がその分を何とかしなくては

ならない時がくる。

 

子どもたちの未来への

贈り物を残していけるような

そんな事業はいずれ興していけたらと

思う。

 

やりたいことが

たくさんあって、

どれかに絞るということが

まだできていない。

 

とにかく、今は、

なるべくたくさんのことを

やってみること。

 

これも、

立ち止まり、考え込んでいても、

やはり何も動かないのだと思う。

 

つづく・・・

 

 

 

 

なぜ、自然農にこだわるのか

今日、すがさんと話をしていて、

思った。

 

なぜ、僕は自然農を選んだのだろうかということ。

 

改めて思い返してみると

環境問題を何とかしたいという思いが

あるのだと思う。

 

環境問題というと、

温暖化のことであったり、エネルギー問題、

大気汚染、海洋汚染、山の荒廃、放射性物質など

様々な事柄がある。

 

自然農が温暖化の対策に直結するとは

なかなか想像しにくいところがある。

関係していないわけではないが。

 

自然農というと、

草や虫を敵としない。

肥料など持ち込まない。

耕さない。

などのキーワードは知っている。

 

この草や虫を敵としない、

という点においては、

とても共感していて、

生物の多様性のなかで、

自分自身が生きている中、

ある特定の虫などを敵対視して、

しまうことに違和感を持っていた。

 

しかし、敵対視しないからといって、

殺さないわけでもない。

 

野菜を食べる虫を殺すこともあるし、

家の中にはいってきた、不快な虫を

殺すこともある。

 

草だって、野菜の周りは、

丁寧に刈ったり抜いたりするし、

普段歩くところは、こまめに刈る。

 

でも、草が生えているからと言って

嫌な気持ちにはならないようだ。

草が生えていない状態がきれいだとも

思わないようだ。

 

除草剤というものが世の中には

あふれていて、

僕は、どうも毛嫌いしてしまっている。

 

化学的なもので

対処してしまうことに、

嫌悪感を感じているようだ。

 

除草剤、殺虫剤、化学肥料などは

使い続けると、その土地の環境に

悪影響を与えると思い込んでいるところがあるし、

また、自らの口に入る可能性も否定できない中、

怖いという感覚もあるようだ。

 

実際、

ラウンドアップという除草剤など、

諸外国では人体に影響があるということで、

使用禁止になっているところもあるらしいし、

もちろん、そういうものを使う気にはならない。

 

そんな除草剤なんて

なかった時代が過去にはあって、

そういうときは、

草は家畜のえさになり、

また、野に積んでたい肥として

使っていたそうだ。

 

そっちの方向でいいんじゃないのって

思っているだけ。

 

もっとも、牛などの家畜を

飼っているわけではないので、

もっぱらたい肥化を実践中ではありますが。

 

多分、

時代が現代に近づくにつれて、

機械化が進み、肉体労働の手間暇は

劇的に減った。

そのことで、時間にゆとりが生まれたり、

プラスになった面ももちろんあるんだけど、

少子高齢化核家族化が進んだり、

ただお米を育てているだけでは、

生活が成り立たなくなってきてしまったり、

なんかうまく回らなくなってきて、

ただでさえ機械化で減った農業への従事時間を

さらに減らしたい、身体がしんどいってなってきたり。

 

もっとも、

年を重ね、おじいさんおばあさんになっていくと、

身体も思うように動かなくなってきたりするかもしれないし、

そんなとき、手伝ってくれる若い人がいなかったら

助けてくれー!もうしんどい!つらい!って

なるのも無理ない。

 

こうやって

巡らせてしまうと、

何がどうなっているのか、

よくわからなくなってくる。

 

いや、

物事は

もっとシンプルなはずだ。

 

心から、気持ちいいと感じること。

その感性に蓋をしない。

 

そうすると、

おのずと見えてくるのでは

ないだろうか。

 

便利なものがたくさんあるし、

誰でも簡単に手に入る、

現代日本社会の中で

自分が使いたいものを取捨選択し、

その結果として、

どんな未来を描いていけるのか

ということ。

 

子どもたちが成人した

その先の未来に。

 

僕はいま、何ができるだろうか。

 

一つ一つの、些細な選択が

形作っていく未来。

 

目の前のこと、

大切にしたいと思う。

 

結局、タイトルとは話がずれてしまったような・・・

 

ちなみに、

自然農で育てたから野菜だから美味しいっていうのは、

正直なところ、僕自身は微妙なところだと感じています。

 

味覚って、主観によって随分作用されるし、

不思議なもの。

 

上手に健康に育った野菜がうまいのは確かだと感じる。

 

肥料をどうするか、

気候や土壌環境などでも、味がずいぶん変わるらしいが、

自分で比較して食べ比べたことがないので

僕にはまだ難しい。

 

自分の畑の同じ場所で育った人参でも

一本一本味が違うのではないかとさえ思ってしまう。

 

僕が美味しいと思っても、

子どもたちは食べなかったりもするし、

まあでも、妻とは割と好みは一致しているかな。

 

身土不二というのは、

まさにその通りだと思っているので、

身近なところにある自然なものを

食べるということは、

身体が喜ぶのだと思う。

 

自らの口に入るものを

自らで育てるというのは、

やはり面白い。

インゲン豆

結構、たくさん収穫できていまして、

いろんな人にお裾分けして

きました。

今日だけで、800グラムくらい。

これまでに四回くらい同じくらい

取れていて、これからまだまだ取れそうです。

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まだ、

野菜を売るということには

していないのですが、

今はそれでいいのかなと

思いました。

 

子どもたちと

一緒に地域を回ると、

お裾分けしたおうちの

子どもたちと

交流できる。

大人が話をしているうちに

自然に遊んでいて、

そういうのが、

子どもたちは

やっぱり楽しいんだなと

思いました。

そして、

お土産までもらってしまいました。

 

これからも積極的に

交流していこうと

思います。

 

 

 

 

紫陽花

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去年は、

咲かなかった紫陽花が、

次々に

咲いてきています。

 

少しいただいて、

玄関横に飾る。

 

こちらに移り住むまでは、

空間的にも

そんな余裕なかったけど、

少しずつ、季節の

お花を飾ったり

していけたら、

いいなと思っています。

 

鑑賞用の有名な花だけでなく、

野に出て、

注意深く見ると、

小さな花を

見つけることが出来ます。