自給自足、循環型の暮らしを目指す音楽家であり、農夫でもあり猟師でもある小濱達郎のブログ

京都府南丹市八木町にて循環型の暮らしを目指す、農夫であり猟師でもあるシンガーソングライターのブログ

狩猟について 思うこと 続き

 前回、お金のことを書きました。

 

 その金額が高いのか、安いのか。

 

僕は魚釣りをしないのですが、

きっと魚釣りも本格的にやる人は、

お金もかかるのだと思います。

 

 狩猟でも、鉄砲を使った猟では、

わな猟とは、けた違いの投資が必要だと

思われます。 

特に猟犬を飼育する場合はなおのこと。

 

 そういう意味では、わな猟は、

始めるにあたっての敷居は低いのかもしれません。

 

 さらに、僕は、いろいろな人に恵まれて、

本当に幸運でした。感謝です。

 

 わな猟ですが、

わなを仕掛けている間は、

毎日、朝のなるべく早い時間帯に、

わなの見回りにいかなければなりません。

 

 それをさぼると、わなにかかったまま、

動物が死んでしまっている事態に、確実に出くわします。

 

 毎日、見回っていても、

僕はそういった場面に遭遇しました。

 

 そういう意味では、

自宅周辺に獣のでる山があるということは、

重要なことだと思います。

 

 週末だけ、わな猟では、

生きたままわなにかかった獲物には

なかなか巡り合えないと思われます。

 

 猟銃の場合は、週末だけの猟は

可能ですけどね。

 

 思いを巡らすと、魚釣り、野菜作り、お米作りにしても、

様々な事故は起こりうるわけで、

特別に狩猟のみが危険性が高いというわけでも

ないのかもしれません。

 

 狩猟の場合、特に大型の動物相手の場合、

自分よりも体重の大きな動物と向き合うわけで、

より命というものが、自分の身に迫って感じられる

ということなのかもしれません。

 

 僕もちょっとだけ魚釣りをしたことがありますが、

釣った魚が死んでしまっても、

何も感じなかったのはなぜなんだろう。

池で鮒を釣って、煮て食べた。

 

 虫を殺しても、かわいそうと感じない。

 

 シカやイノシシを殺した場合はどうなのか。

 

 僕は、かわいそうという感情ではなかったように思う。

それは必死だったこともあるからで、

でも、ごめんねって、言葉に出していた。

 

 人間により近い動物だからなのだろうか。

 

 狩猟に罪悪感はないはずだけど、

鹿やイノシシに罪はないと思っている。

 

 そりゃ、僕も田畑を荒らされたこともあるけど、

昔はそんなこと、なかったわけで、

近年の里山、山の環境が悪化してしまったこと、

人間の生活習慣などが変わってしまったことが、

引き金となって、獣害が増えていることは、事実。

 

 獣害は、人間が、招いたことだと

僕は思っている。

 

 獣が悪いわけではないと思う。

 

 有害だから、お金になるから、どんどん殺せ!

では、ないよねという話。

 

 イノシシやシカを獲ったら、

集落の人は、喜んでくれる。

どんどん獲ってや!

あいつら、悪さばかりするから。って。

 

 それも、一理あるし、

狩猟を嫌がられるよりは、

歓迎される方が、僕としてはやりやすいから、

いいんだけど、

大切なことは、見失わないようにしたいと思います。